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航空機、Made in Japanの世紀へ

No.355/2012年11月号
東京大学工学系研究科 航空宇宙工学専攻 鈴木 真二
東京大学工学系研究科
航空宇宙工学専攻 
鈴木 真二
今年は日本の航空史にとって節目になる年だそうですね。
鈴木:東京帝大卒の奈良原三次が稲毛に民間飛行場を開設したのが今から100年前の1912年でした。彼は、その前年に自作の国産1号機で飛んでいます。また、戦後初の国産旅客機YS-11の初飛行が50年前の1962年8月30日です。これを記念してこの夏、「YS-11初飛行50年~日本の航空技術・産業の今と未来~」というフォーラムを東大で開きました。
ライト兄弟の動力初飛行は1903年の12月17日ですが、ちゃんと飛べるようにその後も開発が続き、一般公開飛行を行ったのは1908年です。ですから、日本の国産機初飛行は、ほとんど遅れをとっていません。1930年代になると独自開発が本格化し、1938年には東大付属航空研究所の「航研機」(航空研究所試作長距離機)が62時間以上関東上空を飛んで、周回航空距離の世界記録を打ち立てました。ゼロ戦が開発されたのもこの頃です。第2次世界大戦末期には、ドイツからもち帰った小さな面図だけを参考に、ジェットエンジンをつくりあげて、終戦の直前に初飛行に成功しています。
画:クロイワ カズ
敗戦によってGHQ(連合国総司令部)から全ての航空活動を7年間禁止させられた痛手は大きいですね。
鈴木:戦後の約10年が、ジェットエンジン実用化の時代といえるので、非常に残念なことです。航空活動再開のシンボルとなったのが、民間旅客機YS-11です。
これはプロペラ機で、182機つくられ、12カ国に輸出されました。信頼性の高い飛行機でしたが、導入した米国のエアラインは"Powered by Rolls-Royce"と積んでいたエンジンを表に出していました。当時はまだ日本の工業製品の品質に疑いがもたれていたのでしょう。
YS-11の評判は高かったのですが、ビジネスとして上手くいかず、赤字累積により1973年に製造終了になりました。その後、政府の方針が海外との共同開発に振れ、米国ボーイング社との開発に日本メーカーは参加し、767、777と開発してきました。
昨年日本で初めて就航した787はボーイング社の担当が35%、日本の担当が35%と互角で、しかも主翼を日本が担当しました。機体を炭素繊維の複合材料でつくるのですが、日本の炭素繊維とその航空機への応用技術は世界の先端にあります。787では、従来機体の12%程度だった炭素繊維複合材料の使用率が一挙に50%にまで上がりました。イノベーションですね。金属のように疲労しないので、上空での与圧を高くできますし、錆びないので機内の湿度を上げることもできます。耳もツーンとしないし、肌もカサカサにならない、快適な機内環境を実現できるようになります。ボーイングも787は"Made with Japan"と銘打っています。
そして現在製造が進められているのが"Made in Japan"のジェット旅客機MRJです。三菱重工が主要出資者の三菱航空機が開発の主体です。70~90名の小型機で、すでに基本合意を含め230機の発注を得ています。航空機ビジネスというのは設計・生産・販売だけでなく、整備・修理・大規模修理というアフターサービスが非常に重要で、ここまでカバーするシステムをつくらねば、ビジネスが成り立ちません。
私たちも2009年にできた三菱重工からの「航空イノベーション総括寄付講座」で、「航空機の技術から、国の産業政策や安全制度、そして製造から販売のビジネスまで」を学ぶコースをつくり、「現代航空論」という教科書も出しました。工学だけでなく経済学や法学の教員、さらには産業界、官界、研究機関の方々にも参加して頂いて、明日の日本の航空を担う人材の育成をはかっています。
近頃元気のない日本ですが、航空産業をぜひとも21世紀の日本の産業の柱の1つにしたいですね。

※本企画は、当社の協賛で日経サイエンス誌に広告として掲載しているものであり、当社の研究開発、製品等と直接の関係はございません


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