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光通信の来し方行く末

No.362/2014年8月号
東京工業大学栄誉教授(公財)高柳健次郎財団理事長 末松 安晴
東京工業大学栄誉教授
(公財)高柳健次郎財団理事長 
末松 安晴
2014年の日本国際賞を、「大容量長距離光ファイバー通信用半導体レーザーの先導的研究」という業績に対して受賞なさいましたが、光通信との関わりはいつ頃からでしょうか。
末松:1960年にルビーレーザー、61年にガスレーザー、62年に半導体レーザーが開発されましたが、61年に東工大助教授になった時には「光通信をやろう」と決めていました。63年5月25日の東工大創立記念日には、ガスレーザー、光変調器(電気信号を光信号に変換)、光ファイバー、光電管からなる光通信システムを学生たちが組み立て、マイクロフォンからの音を光伝送してスピーカーで再生するというデモンストレーションを行いました。これは世界で初めての光ファイバー通信システムのデモでした。
以後、光ファイバー通信研究の先端を走ってこられましたが、印象的な局面には、どのようなものがありますか。
末松:いくつかありますね。半導体レーザーは、70年にベル研究所で林厳雄さんたちが連続発振に成功するまではパルスしかなかったのですが、当初から光通信の本命は半導体レーザーだと思っていました。小型で小電圧、しかも変調速度が圧倒的に速い。理論的に解析してみたら、ギガレベルはいくことが分かりました。実際に、電気メーカーから借りた半導体パルスレーザーで3ギガまで変調できました。66年頃で、光源は目途がついたなと、喜んだ覚えがあります。
連続発振できるようになった時点で光源の問題はすべてクリアになったと…。
末松:そうはいきません。連続発振はできるが、すぐに波長が飛ぶのです。これでは通信はできません。分布反射器(1/2波長の周期で反射体を並べたもの)を2つ並べた構造を考え、波長が1つに決まる単一モード共振器を創案したのが74年頃です。さらに光ファイバー通信の実現には、レーザー発振器と共振器を一体化した集積レーザーの開発が必要だと思ったのですが、当時、大学で半導体レーザーをつくれる設備を持っていたのはMITくらいでした。しかし、TDKの山崎貞一社長に多額の研究開発費を出して頂き、作製加工装置や測定装置を整えることができ、75年初頭には集積レーザーの成功を発表しました。
そんな中で、光ファイバーの低損失化に 成功した米国コーニング社のメンバーの1人のケックさんが、最低損失波長帯は1.4~1.7ミクロンの長波長領域にあるのではないかと 予測したのです。当時の半導体レーザーは波長0.85ミクロンのガリウム・アルミニウム・ヒ素レーザーでした。長波長の可能性はガリ ウム・インジウム・ヒ素・リン系とガリウム・アルミニウム・ヒ素・アンチモン系の2つがありました。考えた末に、溶融点が高く、固いインジウム・リン基板を用いる前者の開発を決めました。これがやってみると筋のいい材料で、寿命も長く、79年7月に1.5ミクロン帯の室温連続動作に成功しました。
これで、私が光ファイバー通信に必要だと考えた動的単一モード(DSM:Dynamic Single Mode)レーザーがほぼ完成しました。その条件は光ファイバーの最低損失波長帯で単一モード発振し、かつ発振波長が意図して変えられるものです。波長は温度制御で変えられるのですが、エネルギー消費量も高く、速度も遅いので、ぜひとも電気制御したかった。これも83年には実際にできることを示しました。光通信の現場では先に開発した温度制御型が長らく主流で、電気制御が取り入れられたのは2004年くらいからです。
光通信の今後をどうお考えですか。
末松:今、ちょうど転換点ではないでしょうか。画像までは自由に送れるようになったが、動画だとまだ容量が小さいし、コストもかかる。今後は超高精細動画や3次元動画も自在に送れるようさらなる大容量化が必要です。画像までは、いわば印刷の延長、グーテンベルクの世界ですが、動画の時代に本格的に軸を移さねばなりません。実現の暁には、医療や社会全般が、大きく変わるでしょう。楽しみですね。
画:クロイワ カズ

※本企画は、当社の協賛で日経サイエンス誌に広告として掲載しているものであり、当社の研究開発、製品等と直接の関係はございません


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