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脳ほど面白いものはない

No.374/2017年8月号
理化学研究所脳科学総合研究センター長<br/>
マサチューセッツ工科大学教授<br/>
理研-MIT 神経回路遺伝学研究センター長 利根川 進
理化学研究所脳科学総合研究センター長
マサチューセッツ工科大学教授
理研-MIT 神経回路遺伝学研究センター長
利根川 進

記憶を蓄える細胞群の存在を直接的に確認

免疫システムの研究で1987年にノーベル生理学・医学賞を受賞なさいましたが、ずいぶん前から脳研究の重要性について言及され、研究をシフトされました。予想されたような方向に進んでいますか。
利根川:私の研究室だけでなく、世界的に脳研究はいい方向に進んでいると思います。
免疫もネットワークですが、脳は神経細胞が直接につながり、構造的なネットワークをつくっています。そして、環境からの情報を取り入れ、これを記憶として保持し、後で取り出して、いろいろなことの決断に臨機応変に使うという非常に柔軟な器官です。これが研究対象として非常に魅力的なところで、私も記憶に焦点を絞って研究を進めてきました。これが上手くいき、2012年にマウスで、特定の記憶を蓄えた海馬の細胞群の存在を直接確かめました。
オプトジェネティクス(光遺伝学)という新しい技術を使って行いました。チャネルロドプシン(光応答性タンパク)の遺伝子を目的細胞に導入して発現させます。光ファイバーによって光刺激するとチャネルロドプシンの働きにより目的細胞が活性化します。つまり、光によって細胞の活性を人為的に制御できるわけです。エンジニアリングですね。
脳の海馬という領域は、記憶の形成、保持、想起に重要な役割を果たしていることが知られていますが、まず新しい環境について学習している時だけに活性化するマウスの海馬の細胞群を特定しました。そして、そこにチャネルロドプシンを導入したマウスをつくったのです。このマウスに、ある環境で足に軽い電気ショックを与えます。このマウスを、ショックを与えた環境に再び置くと、その記憶が呼び起こされ怯えて、すくみます。ところが、別の環境に置いても、光で刺激すると、すくみます。確かにチャネルロドプシンで標識された細胞群が、電気ショック記憶を蓄えていたということです。記憶が特定の脳細胞に物理的に存在することを直接的に確かめた初めての実験でした。記憶をつくる細胞群はエングラム細胞群と呼ばれています。

うつ病マウスを光刺激で回復させる

記憶の実体が明らかになり、その活動を外から制御できるとなると、いろいろなことができるようになるでしょうね。
利根川:オプトジェネティクスを使って、うつ病モデルマウスを治すことができたのは、その一例ですね。
記憶には楽しい記憶と嫌な記憶がありますが、海馬の隣の扁桃体にこれらの記憶のエングラム細胞群があることを見つけました。扁桃体は前々から情動にかかわる脳領域だといわれていたところです。そして嫌な記憶と楽しい記憶のエングラム細胞群が拮抗していることも見いだしました。つまり、嫌な記憶がすごく強くなって楽しい記憶を抑え込むと、うつ状態になるのです。
実験では、まず、マウスに非常に楽しい経験をさせます。次に、その楽しい記憶の細胞をチャネルロドプシンで標識し、その後、強いストレスを長期にかけてうつ状態にします。その後で、光を当てて楽しい記憶を蓄えた細胞群を活性化させます。すると、楽しい記憶が嫌な記憶を抑制して、うつ状態から回復できることが明らかになりました。
誰かの顔を見て、その人にまつわることを思い出すなど、何らかの手がかりやきっかけで記憶が呼び起こされることは、皆よく経験していると思います。オプトジェネティクスでは光刺激が手がかりで、この実験は、思い出し(想起)のメカニズムを科学的に説明していることになります。

アルツハイマー病マウスの記憶とは

画:クロイワ カズ
思い出すということは、アルツハイマー病などでは、重要な課題ですね。
利根川:じつは、アルツハイマー病モデルマウス(ADマウス)の実験でも面白い結果を得ています。
アルツハイマー病では、海馬やその周辺で細胞の変性が生じます。そのため、海馬が正常に働かなくなり、記憶障害が生じると考えられていますが、「新しい記憶がつくられないのか」あるいは「記憶はつくられるが思い出せないのか」は不明でした。
アルツハイマー病にも初期段階がありますが、マウスの場合にもそういう段階があります。嫌な記憶のエングラム細胞群をチャネルロドプシンで標識したアルツハイマー病初期のマウスをある環境に置いて、軽い電気ショックを与えます。翌日、その環境にマウスを再び置いても、マウスはすくみません。ところが、違った環境に置いて光を当てたところ、すくんだのです。つまり、初期段階では、記憶はつくられるが思い出せない、したがって想起に障害があることを示しています。
さらに、そのようなマウスのエングラム細胞群は細胞同士の結合が弱くなっていることが分かりました。光を何度も当てて結合を強化すると、電気ショックを与えた環境に置くだけで、すくむようになったのです。記憶のメカニズムが回復したのですね。
ヒトのアルツハイマー病にとってもいいニュースですね。
利根川:初期段階では記憶はつくられており、どうやって取り出すかという問題だけだというメッセージは出しました。ただ、オプトジェネティクスの手法は光ファイバーを脳に埋め込まねばならず、侵襲的な治療なので、ヒトにそのまま応用するのはなかなか難しいでしょう。日本はそういう治療に対しての規制が厳しいようです。

AIは脳研究の主要ツールとなれるか?

話は変わりますが、脳研究者として昨今話題となっているAI(人工知能)をどう捉えておられますか。
利根川:ある意味では脳を超えていますよね。碁や将棋ではAIが人間に勝っている。ただ、人間は1つのことだけをやっているのではなく、パラレルにいくつものことを行っています。そういうすべてのことを人間よりもよくできるAI をつくるのは大変でしょう。そう簡単にはできないと思います。
脳研究のツールとしては、すでにAIは使われています。脳活動を測定・検出したり、脳細胞を活性化したりする機器は、AIにつながっていることも多い。そのうち、AIが脳に関するビッグデータを解析して、革新的な原理を導き出す可能性もある。ただし、私はそういう手法は嫌いです。仮説を立てて、それを実験などで確かめるほうがはるかに面白いので、自分が手を染めることはありません。ただ、脳研究において、人間とAIの研究が相補的になる可能性はあります。
現在、脳はどの程度分かっているといえるのですか。
利根川:マウスで10%、ヒトで1%程度でしょうか。ヒトの脳研究はほとんど行われていません。非侵襲的な方法が限られているので、非常に難しい。まだまだこれからです。でも、私たちがマウスでやっていることは、だいたいヒトにも当てはまると思っています。ヒトで行える範囲の実験データとマウスの実験データは非常によく合っています。完全には証明できませんが、私たちは、ヒトにも当てはまるだろうと確信しています。
99%分かっていないからこそ、脳研究は面白いのでしょうね。
利根川:ものすごく面白い。研究対象として、こんなに興味深いものはありません。対抗できるとしたら、宇宙ぐらいかな。

シナプス増強で復元されるアルツハイマー病モデルマウス(ADマウス)の自然な手がかりによる記憶

画:シナプス増強で復元されるアルツハイマー病モデルマウス(ADマウス)の自然な手がかりによる記憶

ADマウスを箱Aに入れて嫌な体験の記憶を標識し、24時間後に再び箱Aに入れると、記憶障害により「すくみ反応」はみられなかった(テスト1)。
さらに24時間後、一部のマウスには標識されたエングラム細胞のシナプスが増強されるよう、青色光照射により繰り返し刺激をした(100Hzの青色光での刺激を10回与えた)。48時間後、再び箱Aに入れてすくみ反応を観察すると、光刺激によるシナプス増強を行ったグループ(ADマウス[光刺激によるシナプス増強プロトコールあり]、緑)でのみ、箱Aに対しすくみ反応を示した(テスト2)。

※本企画は、当社の協賛で日経サイエンス誌に広告として掲載しているものであり、当社の研究開発、製品等と直接の関係はございません


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