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帰国直前に難民生活を体験した話 - U.S.A. -

No.428/2013.08
機能品・ファインカンパニー/ 岩本 泰昌
画:クロイワ カズ

昨年の10月末、3年間のニューヨーク単身駐在が終わろうとした矢先、大型ハリケーン「サンディ」が襲来、東海岸一帯に大きな被害がでました。

ハリケーン上陸の前日、非常事態宣言が出されると、バスも電車も早々にストップ。折悪しく足を骨折していた私は外出もままならず、マンハッタンのアパートに蟄居していました。翌日、昼に非常食のラーメンを食べたものの、夕刻、食事の支度を始めたとたん、突然の停電。いつまで経っても復旧しません。都会の文化生活も電気なしでは何もできず、夕食はあきらめ、懐中電灯の明かりで本を読みながら就寝。

翌朝には風雨は収まりましたが、停電は続いています。会社の連中に連絡しようにも携帯は電池切れで使えません。大都会の真ん中で孤立状態です。街路の信号も消えたままで、車もまばら。状況もさっぱり判らず悶々としていました。午後になると、窓の外でバスの音が聞こえ始め、通りを行く人の姿も…。2日間でラーメン1杯では空腹に耐えられず、勇を鼓して外出を決心しました。エレベーターは当然ダメで、6階の部屋から暗闇の中、松葉杖をついて、懐中電灯を頼りに恐る恐る非常階段を降ります。外に出て、交通整理の警官に訊くと、39丁目から北は電気が来ているとのこと。早速バスに乗り込み、日本食レストランが集中している48丁目で下車。が、どこもシャッターが下りたまま。ギブスの足と空腹を引きずりながら30分も歩いたでしょうか。漸く営業中の店を見つけました。店の片隅で、タレのたっぷりかかった、ホカホカの天丼を口にして、漸く生き返りました。

何ということもない天丼ですが、その時以来、私のグルメメニューの「お気に入りに追加」されました。